杉本のぼやき

様々な個人的考察を。会社のブログではこれ以上愚痴るの良くないので。。。

いろいろ

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

今までは会社のブログを通じて個人的な見解などを書いてきましたが、

個人的な考えが強すぎるので(笑)こちらに書く事にしました。

 

会社のブログにいろいろかいていたのは

私個人の人となりを包み隠さずさらす意図があったものの

メインの話よりもそちらが大部分になることが多く

また長文が多いので「これではだめだなー」と思い至りました。

 

書き始めに今の世の中の話題に対していろいろと思うこともあり

頭が悪いなりに思うまま書き綴っていこうと思います。

 

日記の感覚で、書いている時点の自分の考えなどの変化など

このブログを通じて感じていければいいなーの自己満足ですので

見られる方がいましたら生暖かく見守って頂ければと思います。

 

 

ではいきます。

まず、今の世の中の変化について。

 

新型コロナウイルスによって世の中は大きく変わりました。

いまさらですが初期の段階でもっと明確に対策するなど

方向性をはっきりと、やる事はやる、やらないならやらないと

けっこうきっちりとしていれば良かったのでしょうが、

結果的に不明確な部分からみんなが逃げてしまい

それぞれの価値観ばかりが強く現れてしまうといった

残念な世の中が広がってきています。

 

自分の身を自分で守るという大前提のなかでの価値観で

社会性というか、思いやりや配慮、我慢といった部分が軽視され

「自己責任」を完全に取り違えた考え方の声ばかりが大きくなり

日本の文化といえる思いやりの心はむしろ足かせになってしまいました。

 

「自己責任」というものは、

完全に自分で責任を取る行動を自己で選択した場合の結果に伴うもので

人々の行動全てに対して適応されるものではありません。

人の身にマイナスの現象が起こった際

なにかにつけてそれが「自己責任」と言うものではなく、

人に配慮せず、人の忠告を聞かず、自分ひとりで決めて行動した結果

ひどい目にあったりマイナスの現象に遭遇した際に考えることです。

 

「自己責任」を人に対して軽はずみに使う人が本当に増えましたが

使いまわす人に限って自分が人にかけた迷惑から責任逃れする為

迷惑を訴えてきた人に対して使う場面が本当に多く見られます。

 

そもそも「自己責任」という言葉の使いどころというのは

自分自身が自分自身に対して考えるべきものであって

世の中で軽はずみに使われている感覚の多くは人に対してです。

 

私個人が考える人に対しての「自己責任」というものは

まさにどの角度から見ても「自業自得」でしょ?という場合のみで、

何でもかんでもその人の環境に対してその言葉を用いる発想になることは

ほとんどありませんし、人にその言葉を投げかける事自体が

非常に傲慢で非常に無責任な行為だと認識しています。

 

とても残念に思うことが増えたこのごろです。

 

 

次に最近ちょくちょく話題になっている

「稼いでいる人による傲慢な発言」が本当に多い事。

納税額によって立ち位置が変わるといったような主張が増えていて

SNSの普及によってその考え方が簡単に多くの人の目に触れます。

 

『選挙に対する発言権の大小を収入に準じるべき』

『社会への不満はたくさん納税してから言うべき』

 

こういった意見を時々見かけます。

個人的に非常に尊敬していた某有名人も最近この発言をしていて

尊敬していた方だけに凄まじくがっかりしました。

 

確かに、

社会貢献度と言う意味では高額納税者は多くのお金を納めていますから

そういった考えが出てくる事事態は否定しません。

でも、高額納税者がそういった発言を公に声高々にする事の幼稚さには

心の底から本当に幻滅します。

 

高額な年収を得ている方々、高額な納税を行っている方々

いろんな意味でいろんな形でその収入を得ていることでしょうし

その収入を得る為の努力や方法などについては素直に尊敬します。

 

私自身は特段高収入でも高額納税者でもないと自覚していますので

そんな私の意見は、そういった高収入の意見をお持ちの方々にとっては

また低収入の抵貢献者がたわごとをほざいていると言われる事でしょう。

 

私は一応会社を経営していますが

年間数十億、数百億といった稼ぎはありませんし、

納税(社会貢献度?)に関しても

自分の生活を基本とした収入に応じてしかしていません。

 

ただ、自分の収入に応じた環境を見ていて

自分よりも収入の低い人が自分よりも劣っているとは一切思いませんし

自分よりも納税額の低い人に対して「黙れよ」とも全く思いません。

 

私の収入を得る方法、少なくとも私の収入は、

私の会社の商品を多くの方が購入してくれる事で発生しています。

販売している商品も一番安いもので700円程、高いもので10万円ほどです。

 

色々なお客様がいて、色々な形での購入があって

様々な環境の方が利用してくれていて、

そういったたくさんのお客様によって私の生活につながります。

 

そんな私のお客様一人ひとりの収入や生活環境は

残念ながら全てを把握しているわけではありません。

 

でも、お客様一人ひとりが利用してくれている積み重ねが

私の収入になっているという自覚と感謝は持っているつもりです。

 

どんな環境のどんな方が私の会社の商品をどんな思いで使ってくれているか

その全てを知るすべはないけれども、私の会社の商品を使ってくれている、

お金を払ってくれていることについては紛れもない事実です。

 

そういった積み重ねが私の会社の売上になり、その結果で私の収入が発生します。

 

何がいいたいのかと言うと、

自分がどんなに莫大な収入を得ていたとしても

収入を発生させるシステムは、

掘り下げていけば何処の誰かはわからない一人ひとりの支払いの結果じゃないのか?

ということなんです。

 

もう少し細かく言うならば

例えばスポーツ選手であっても、その収入が発生する原資は

例えばスポンサー料だったり、観客動員やグッズの売上だったりするわけですが

多くのスポンサーはそのお金を作る為に多くの顧客に対しての販売など

商行為があってお金が発生し、その積み重ねと規模で大金になるはずです。

 

誰もかれもが莫大な収入を基にした大金を一発で支払っているわけではなく

大きな企業は細かな積み重ねを行う規模によって最終的な金額が大きいはず。

 

高額納税者やとんでもない高収入を得ている人だけに発言権があるなど

自分の収入を発生させているその原点はなんなのか忘れてませんか?ということ。

高額納税者は納税額が高額になる理由として収入が多いわけですが

その収入はお金持ちの人だけがあなたに大金をもたらしているんですか?

 

低収入や低額納税者を馬鹿にしたり見下したりする人に聞きたい。

そういった人たちはすべてが努力もなく怠惰な生活をしているんですか?

 

あなたを評価して、あなたの提供するなにかを評価して、

あなたが馬鹿にする発言権もないような立場からも

なけなしのお金を払って必要としているのは

あなたが麻薬のように人をひきつける提供を行っているから

それに惑わされ、魅了されたから当然のことなんですか?

 

そのご立派な高額納税者様の提供に対して

発言権もなく社会に貢献もしていないような低所得者

勝手にお金を払って勝手に上納している構図ということですか?

 

私が何十億、何百億と稼いでいて、

できれば社会的に著名になってこういった事を言えばいいのでしょう。

少なくとも肩を並べてから発言すべきなんでしょう。

 

残念ながら自分の生活を十分に行える程度にしか稼いでいませんし

残念ながら著名でもありません。

 

そんな事はどうだっていいんですが

だいたい、社会のなかでその発言権を許される高額納税者は何%?

偉そうな意見を言えるほどの著名人は人口の何%?

 

その数%?数十%?の人々で社会を支えて

その数%?数十%?の人だけが経済をまわしているんですか?

 

低収入だと馬鹿にする人々すべてがいなくなった際に

その数%?数十%の選ばれた人々だけの世の中で

どうやってその莫大で立派で人を見下せるような収入を作り出すのか

どんな崇高などれだけ知的な計画があるのか知りたいものです。

 

 

 

お金を稼ぐことや高収入である事、高額納税である事、著名である事など、

別に、人には人の生き方や人生、価値観や努力など人の数だけあると思いますから

わざわざその人の立場や収入で判断する事なんて私はほぼほぼありません。

否定も肯定もせずその人の発言や人となりを自分で判断して自分で考えます。

 

 

高収入の著名人が納税額で人を判断したり、

低収入の人の人権を否定するということは

完全に搾取する側とされる側の支配思想だと思います。

 

自分自身を見つめた際に

確かにお金があればいろんな事ができ、選択肢も増え、

そこから楽しみを選ぶことはできるかもしれません。

でも、それが=(イコール)幸せなのかどうかは全く知りません。

 

たくさんの収入があれば幸せで、収入が少なければ不幸せなのかといえば

それこそ人それぞれの環境、人、価値観によって様々だと思っています。

 

 

高額納税=社会貢献度=発言権

 

こんな考えの人がたくさんの人々のお金の上に胡坐をかく事は

私自身はちょっと考えられないことで、めちゃくちゃ残念です。

 

この考えは、

学校や団体なんかで考えると寄付の多い家庭や人の発言は聞くが

最低限の所属だけのメンバーの意見は意味がないといっているのと同じで

今の社会は正にそうですが、こんな考えが中心になっていれば、

そりゃどんどん特定の人の利益のための利権社会になるわけですね。

 

悲しいのは、

そういう風に馬鹿にされている事に気付かないままに

せっせと低所得の環境からその支配者のために僅かなお金を貢ぐ人が

いつまでたってもいなくならないこと。

まさに支配者としてその低所得、低納税の愚民どもから

細かいお金を集めて高収入を気取っている人が

大手を振って正論の如く経済の枠組みを否定している姿を

見ざるを得ないような時代に来てしまった事です。

 

 

高収入といわれるみんながみんなではありません。

本当に立派な方のほうがたくさんいます。

 

ごく一部の思い上がった成金の発言が少し気になったのと、

兼ねてから考え方などを支持していた素晴らしい方が

軽はずみな低所得蔑視といえる発言をしたことに衝撃を受けたので

書きたくなりました。

 

 

杉本